おでんさん.blog

日々の暮らしの中で考えていることや、私自身の経験から感じたことを徒然と綴ります……〆(・ω・o)

片目しか見えない私は不幸なのか

こんにちは。でんこです。

 

 

知っている人は知っているけど、私は右眼が見えないんです。

 

 

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眼帯を何らかの事情でせざるえない人が、

 

『眼帯したら見にくいから怖~いヾ(*>∀<)ノ゙』

 

なんて言っているのを聞くと、

 

『私は35年、その視界で生きていますが?(*´-ω・)』

 

ってクールに思うのです。

 

 

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普段は眼帯していないんだけどね~

 

目が悪いからって特別扱いをされることもないし、されたいとは思わないんです。

 

むしろ、人に話すと

 

『私も目が悪いの(o・v・)♪』

 

から始まる、あなたの目が悪い話を聞きたくないんですけど~話を延々と聞かされる羽目になるので、言わないようにしています。

 

 

じゃあ、どうして目が悪いの??

 

 

そもそも、私が目が悪くなったのって

 

小1の時の事故が原因にあるんです。

 

 

ざっくり言うと、、、

 

 

割れた窓ガラスが目に刺さったから

 

です( ̄∇ ̄*)ゞ←

 

 

これが、小1の秋のこと。

 

秋の遠足の前の日のことでした。。

 

だから、当初は

 

『明日、遠足なのに~(;´・ω・)ウーン・・・』

 

くらいにしか思わなかった。

 

特に、痛いとかなかったんだよね……

 

 

どっか怪我して血が出てるなぁ

 

でも、どこを怪我してるか自分では分からなかったんよ。。

 

 

それが目だったんですよね( ꒪ͧ⌓꒪ͧ)

 

 

当然なんですが、即、病院ですよ(*´°`*)

 

 

緊急手術ですよҨ ( º_º )

 

 

翌日の遠足から一転ヽ(ω・ヽ)(ノ・ω)ノ

 

 

入院生活に入ることになりました。。。

 

 

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入院生活って、非日常が日常になるんです。

 

 

『入院生活ってたいへんだよね〜』

 

なんてよく言われたなぁ。。

 

『かわいそう』

 

とか、同情の視線を熱く感じました。

 

 

お見舞いに来てくれる人の『大丈夫?』とか、何の慰めもならない。

 

それらの言葉を、ただただ聞くしかないんです。

 

 

それが、子供ながらにしんどかったです。

 

 

結局言われるのが、『これから大変だよね』でした。

 

 

それが、しんどかった。目が不自由になるよりも…

 

 

 

この時の入院生活でテレビも見れたけど、

 

おしん』ばかりでした。

 

この時の朝ドラが、よりによって『おしん』。

 

 

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子供ながらのもっと楽しいテレビを見たかったのに、大人の都合で見せてもらえませんでした。。

 

程なく退院して、学校にも行くようになったのですが

何かにつけて目の事を言われるようになりました。

 

 

しかも、都合のいいときだけ

 

 

最初の入院生活のときは、特に大きなこともなかったんです。目が悪くなった以外は……。

 

 

そして、この時はまだ、怪我が回復することで少しは視力も回復しました。

 

 

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その時は、私の目の事もこれで一件落着。。

 

かと思いきや……

 

 

小3の初め、網膜剥離が発覚しました。

 

 

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網膜剥離 - 目の病気百科|参天製薬

 

誰も気づなかった私の目の異常。この年に赴任された先生が、気づいて下さいました。

 

『目が開いていない』

 

たしかに、振り返ってみると、この前後の写真に写る私の右眼は閉ざされているものでした。

 

 

病院に行くと、より精密な検査が必要とのことで、鳥取の眼科に行くことに。

 

色々と検査をした結果、、

 

網膜剥離で今すぐ手術しないと、失明します』

 

 

子供の私からしたら、何のことやら???

 

 

本人は事の大きさが分かっていないものの、親なんかは深刻。。

 

鳥取からの汽車は、涙涙でした。(私以外)

 

逆に、こっちが気を使っていました。なんとか、場を和まそうと思うものの、私の病気は酷いのか…と察していました。

 

 

手術は鳥取ではなく、京都にある京大病院の眼科で受けることになっていました。

京都って、どんな所かなぁ?なんて思っていましたが、本当は必死に強がっていたのだろうな…と思います。この時、まだ9歳になっていない小3でした。

 

 

 

入院の準備って言っても、感覚は旅行。

 

はぁ。。手術して、入院するのね(・ε・`)

 

 

それより、新学年がスタートしたばかりだから、勉強が遅れることの不安も若干ありました。

 

 

 

私が入院することになった病室は、本来、男性専用の病室でした。

 

当然、私以外は男性です。

 

年が少し上のお兄さん(大学生や高校生、中学生)の多い病室で、お兄さんができた!と少しだけ嬉しかったのです。

この時(1985年)は、阪神がめちゃくちゃ強く、病室での話題は阪神ばかり。

大学生のお兄さんが特に熱を入れていて、毎日のようにお見舞いにやってくる友達が、スポーツ新聞をもって来て下さっていました。

眼科の病室でテレビもなく、私達にとっては貴重な娯楽がスポーツ新聞でした。

やがて、大学生のお兄さんは退院すると、次の娯楽は病院探検でした。私と中学生のお兄さんとで探検です。病院の売店が広く、唯一のお店でもありました。ワクワクしながら売店に行き、必ず迷っていました。不安を感じながら迷子のように彷徨い、なんとか病室に帰る…といったことが娯楽でした。

色んな病室に顔を出しては、可愛がってもらったりしました。今では病室の行き来もダメなんでしょうけどね。。

体を持て余していたので、こんな事をして息抜きをしていました。

 

 

毎日検査をして、定期的にある総回診。

 

 

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さすがに、この時は緊張していました。

 

 

こんな事を書いていると、入院生活が苦ではなかったかのように見えるかもしれません。

 

正直にいうと、入院生活は楽しかった。

 

 

テレビも無かったけど、体は元気だったし、自由に動けるし、大部屋だったから誰かのお見舞いが必ず毎日あって美味しいお菓子を食べることができたし

 

不謹慎かもしれないけど、楽しく入院生活を過ごすことができました。

 

 

退院するのが寂しかったくらいで……

 

 

本当に大変なのは、退院してからでした。

 

 

 

入院しているときは目が悪い人の中に自分もいたので、特に不自由を感じることはありませんでした。

 

退院すると、目が見えるのが当たり前の世界。

 

何かにつけて

 

大変だね!

 

って言われるし、

 

これから苦労するね!

 

と周りの大人から言われるようになりました。

 

 

目が悪いと、苦労する人生を歩まなきゃいけないのか。。

 

苦労する人生を歩まなきゃいけないというレッテルを貼られてしまったのか。。

 

 

そんな事を子供ながらに思ったものです。

 

 

 

 

ほんの少しでも、人と違うことをすると

 

おかしい人扱いを受けることもあったし、

 

イジメを受けることもありました。

 

 

少しくらい、私がやりたい事をやらしてくれてもいいのに!

 

 

なんで、○○ちゃんはやってもよくて、私はダメなの?

 

ただでさえ、不自由を強いられているのに

ここでも私は我慢をしなきゃいけないものなの?

 

 

小学校の時は、夏休みの球技大会で

 

ドッヂボールをやらなきゃいけなかったんです。

 

必須でした。

 

 

元々、運動が苦手だったのですが

 

球技は特に苦手でした。

 

実際、ボールも見えていませんでしたから…

 

どこを見ているんだ!

 

とか、

 

ちゃんと見とるんか!!

 

なんて言われることは日常のこと。

 

 

ドッヂボールの練習も、苦でしかありませんでした。

 

まぁ、陰口も言われたし、実際に耳にしました。

 

 

格好の餌食だったんです。

 

 

一人で悔し涙を堪えていました。

 

 

大人はそんな私を助けてくれません。

 

 

出来ないのあなたが悪いと……

 

 

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私だって、頑張っているのに

 

あなたがいると負けるから!と言われるようになりました。

 

だから、試合に負けると心の中でざまぁwwwwと思ったものです。

 

私が出なくても負けたやん!o( ̄ ^  ̄ o)

 

 

↑かなり、こじらせキャラです。

 

 

中学ではバレー部でした。

 

正直、部活には入りたくありませんでした。

 

バレー部かテニス部、どちらかに強制でした。

 

 

逃げたくても、逃げる道がありませんでした。

 

 

練習でミスすると、

 

どこ見てるんだ!!!

 

って言われるし、右眼が悪いのは言い訳にならないし、言い訳にしたくなかったし、片方しか見えないのも分かってもらえないし。

 

片方しか見えないのが、実はどれだけ大変なことか。

 

 

分かって欲しいとは思わなかったけど、理解はして欲しかったものです。

 

 

でんこは何処を見てるか分からんな~い( ¯∀¯ )

 

 

なんて言いながら、冷やかしで笑ってくる人もいました。

 

 

中学生の私は、斜視といわれる状態になっていました。

 

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私の場合は、『外斜視』といわれるものでした。

 

視力不良
病気やけがで、片方の目の視力が悪くなると、両眼視ができず、視力の悪い目が斜視になる場合があります。大抵の場合、その目は外側を向きます(外斜視)。

 

斜視 - 目の病気百科|参天製薬

 

私も別に、なりたくて斜視になったわけじゃないし

 

それを揶揄(からか)うなんて……

 

 

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顔では笑うけど、心は泣いていました。

 

 

気持ち悪い!と言われたり、机に落書きをされたりした中学時代。

 

1学年1クラスしかないから、本当に残酷です。

 

※ちなみに、斜視の手術は中3で受けました。

 

今でも、斜視の傾向があり

ちゃんと、こっちを見てるの?と言われることがあります。

就活の集団面接で、面接官の方をちゃんと見ないなら帰れ!と言われたりもしました。

 

 

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大人になってから、右目が見えないんよ~

 

という話をすると、やっぱり

 

大変だねぇ!

左眼を大事にしないと!

 

と言われるけど、そうじゃないんだよね……

 

 

そういうことを言うと、同情して欲しいの?とか構って欲しいの?とか言われるけど

 

そうじゃないんです。

 

 

ただ、私は視野の狭い世界に慣れていますし、特に、不自由なく今は生活しています。

 

車だって運転していたし(今は別の病気の関係で運転はドクターストップがかかりました)

 

普通に仕事だってしているし……

 

でも、やっぱり、

 

苦労しているんだね

 

って言われるのが辛く悲しく感じました。

 

 

大変だね。。とか言われるのもイヤ。

 

 

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分かって欲しいと言わないけど、理解はして欲しい。

 

世の中には、片方の目しか見えずに普通に生活している人がいる!ってことを。

 

私が日常でそんな話をするのも、構って欲しいからではなくて

 

あ、でんこさんは右が見にくいから

右から来るものは見えていないんだなぁ……

 

くらいに思ってもらえたら幸いです。

 

その代わり、右耳は地獄耳だったりします。笑

 

 

お願いだから、

 

苦労してるとか言わないで欲しい。

 

可哀想とか言わないで欲しい。

 

 

私は苦労しなきゃいけないのでしょうか?

 

可哀想な存在でいなきゃいけないのでしょうか?

 

 

そんな事ないよ( ๑´•ω•)۶”

 

という言葉はいらないから、たまには愚痴らせて欲しいなぁと思います。

 

 

目を負傷したこと、これは可哀想な出来事だったのでしょうか。

 

 

たしかに、可哀想かもしれません。

 

想像したら怖いかもしれません。

 

あれから35年経っていますので、片目の世界には慣れています。

 

 

でも、、、

 

大人になったら苦労するね……

 

の呪縛はあの時のまま残っています。

 

 

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see you next blog……